今回はTOEIC、英検などの英語資格試験に対する私の考えを整理し記事にまとめます.
手段としての英語資格試験
私は英語資格試験を他の目的の手段として活用するという考えが理想的だと考えています.
例えば、高校受験で推薦を取るために英検準1級に合格する、留学に行くためにTOEFLで必要なスコアを獲得する、就活で英語力をアピールするためにTOEICで高得点を取るなど.
全て目的のために英語資格試験が手段となっています.
また上記は学生の方向けの例でしたが、社会人の方であれば例えば英語を教える仕事をしていて、客観的な結果を出して生徒さんや保護者の方への英語力のアピールポイントとして活用したい、なども英語資格試験が手段となっていると思います.
このように目的がはっきりしていて、そのための手段として英語資格試験を位置付けておくと、勉強が辛い時にも乗り越えることができ、長期間努力を続けることができます.
これは英語だけに限らず他の分野でも同じだと思います.
例えば、とりあえず自動車免許が欲しいという人と、免許を取って夏休みに彼女とドライブに行きたいという人がいたとします.
後者の人の方が目的がはっきりしているので免許を取るために辛いことがあっても頑張れそうですよね.
このように今やっていることは何のためにやっていることなのかを明確にすることはとても重要です.
英語資格試験で結果を出すことが目的ではダメか
では次に英語資格試験で結果を出すことが手段ではなく、目的になっていることはダメなのかということについて考えていきます.
これは私自身がずっと考えてきて、少し哲学的なところまでに話が発散してしまうのですが、私の答えは本人が幸せならそれでOK、問題ない、です.
英語資格試験で結果を出すことが目的になっている状態とはどのような状態でしょうか.
例えばTOEICの勉強が大好きで、毎回TOEICを受験し、大量の対策問題集を解いているようなTOEICマニアと呼ばれる方々はこれに当てはまると思います.
TOEICマニアの方々はTOEICのスコアや英語力を使って何か目的を達成したいわけではなく、TOEICで高得点を取ることが目的なのです.
このような方々に対してよくある批判は、「TOEICの勉強をしても意味がない. 英語は会話したり、本を読んだり、論文を書いたり、使ってなんぼでしょ. 」 ということです.
確かに英語(に限らず全ての言語)は人との会話や読書や論文を書くという目的のための手段に過ぎないという主張は納得でき、そのように主張する人は一つ外の世界から物事を見ることができているように感じます.
ただし、ここで更に考えてみると、批判している人が目的の例としてあげている、人との会話、読書、論文を書くこともまた何かの目的のための手段でしかないのではないか?ということです.(この辺りから哲学的になってきます..)
例えば、会社経営者は自分のビジネスを成功させるために、ビジネス書を読んで勉強します. また研究者は自分の研究成果を世界に認めてもらうために自分の成果を論文にします.
つまり読書、論文を書くことが手段になっています.
これを更に繰り返すと、ビジネスで成功することも何かの手段であり、研究成果を認めてもらうことも何かの手段となります. このようにどんどん話は抽象的かつ本質的になっていきます.
そこで最終的に行き着くのは「人生の一番の目的は、自分が幸せになるということ」ということです.
幸せとは人によってそれぞれ異なり、人の役に立つことが幸せだという人もいれば、家でのんびりYoutubeを見ているのが幸せだという人もいます.
話を戻すとTOEICを毎回受験し結果に一喜一憂することが幸せだという人もいれば、英語で小説を読みまくることが幸せだという人もいます.
これらはどちらに優劣をつけることはできず、どちらも本人が幸せだと思っているならそれで良く、他人があまり踏み込まない方が良い領域なのかもしれないと考えています.
そのため私は英語資格試験を受験することや結果を出すことが目的になっている人がいても良いと思っています.
以前に読んだ本で趣味とは手段と目的が入れ替わっているものであると書いてあり、ものすごく納得しました.
英語資格試験を受験をすることが趣味な人は、受験すること自体が目的なので、それはそれでいいのです.
ただし本人が好きでやっているわけではなく、単に視野が狭くなっているだけという場合もあるので、その場合は傍にいる人が英語を使うとこんなことができるよと目的を掲示してあげて視野を広げてあげるようなアドバイスしてあげるのはアリだとも思っています.
私と英語資格試験
私が英語資格試験とどのように向き合ってきたのかをご紹介します.
私は大学1-2年生のときにはこれといった強みや誇れるものはなかったので、何か強みが欲しいと思いTOEICの勉強を始めました.
なのでこのときは具体的な目的がありそのための手段としてTOEICが必要だったという訳ではありませんでした.
毎日大学の図書館にこもりたくさん勉強をして、TOEICのスコアがどんどん上がっていき、周りの人からも褒められるようになりそのとき凄く自信が付きました.
また就活の際にはTOEICのスコアは900点を超えており、面接でのウケもよく、結果的に数社の大手企業から内定をもらうことができました.
つまりTOEICを始めたときには何か目的があった訳ではないですが、後々就活のときにTOEICスコアが内定を取るための手段の一つになったということですね.
またTOEICスコアは就職してからも役に立ち、会社内の有料の英語研修に推薦してもらえたり、海外出張や海外駐在の機会も得られました.
上記のように色々と恩恵を受けることができたので、特に大学生の方でまだやりたいことが見つかってないという方はTOEICの勉強から始めてみるというのは私的にはおすすめです.
またTOEICスコアが上がるにつれて、他の人からの期待値も上がるので、期待に応えなきゃという思考になると思います.
私の場合はTOEIC900を超えたあたりから、英語ペラペラなんでしょと言われることが増え(全然そんなことはありませんでしたが)、なんとか会話の実力も上げなきゃとオンライン英会話ばかりやっていた時期もあります.
このように一つTOEICで結果を出したことで、他のスキルも頑張って伸ばそうという思考になれたのも私にとってはプラスに働きました.
きっちり対策をして英語試験で結果を出すことは意味があるか
<とりあえず書きました.後で書き直します.>
一番のあるべき姿は実力が元々あり、少し試験の形式に慣れるために対策をして、試験を受けてみたら受かったという感じ.
試験はあくまで試験で、その基準を満たす実力があるかを測るものであり、実力の養成をせず、必要以上に対策してテクニック(試験でこの単語が出てきたらそれが正解で間違いないとか、選択肢の3が正解になる確率が高いとか)などを使って実力以上の結果を出すことは本質的ではない.
ただし勉強習慣がない人が英語試験をきっかけに勉強を始めて、試験を勉強のペースメーカーとして使うといことは多いと思う.
英語試験がないと0だった勉強量が毎日1時間でも勉強するようになっているならそれはそれで意味があると思う.
また以下の点にも注意したい.
・試験に出るからやる、出ないからやらないという思考
→試験範囲は人為的に区切られたものであり、本来勉強に範囲というものは存在しないはず.例えば英検に出なさそうな単語は覚えなくていいやという思考は試験で結果を出すという意味では正解かもしれないが、その単語を覚えることで洋書を読んだときにその単語が使われた1文が出てきて、辞書を使わずに理解できるかもしれない.
そう考えると、試験至上主義になり、試験対策一辺倒になってしまうということは長期的な視点では実力をあげることには繋がらない.
話を戻すと2つ目の章で述べた通り、英語試験を手段として何かの目的のために結果が必要な人で上記をしっかり理解した上できっちり対策をして試験を受けるのは意味があると言える.